Negative Aspects

私が大学卒業した後に就職し、半年で会社を辞めました。それはとてもnegativeな動機からでした。

  • 当時、全般的にまだ高度成長の背景にあったわけですが、それでも景気のups and downsは時折ありました。そして私が卒業する年は近年になく景気の悪い年でした。
  • 余裕のある家庭を持つ何人かの同級生たちは急場をしのぐため大学院に。とても成績の良かった人たちは景気が悪くともそこそこの会社へ。そんな状況でした。
  • 余裕のない家庭に育ち、成績もそれほど良くない僕は〜?という感じでした。それでも担当の教授に紹介してもらった北九州のとある化学製造会社に入社しました。そこでの1ヶ月の研修は大学時代のような化学のいろいろな実験やなにやらで「まぁ、こんな感じかな」と思っていました。
  • ところがその後、大阪の営業所にSE(Sales Engineer)というふれこみで転勤です。将来の営業所長候補だと言われていきました。Sales Engineerなんて言っても要は営業です。営業所の社員は所長も含めたったの4人。いわゆる大卒は私が初めて。素人目にも旧態依然とした運営でした。
  • 「ホニャララ酸」という4年間の大学の化学研究でも聞いたことの無いような化合物が主製品でした。石けんや塗料などを製造している大手がお客様でしたから、いわゆる界面活性剤がらみであることは容易に想像がつくのですが、どういう用途に使うかは購入先は教えてくれません。
  • それを新規の会社に売り込むのが私の仕事でした。薄汚れた大阪の工場地帯を来る日も来る日も「どう使うのか分からない、ホニャララ酸」を買ってくださいというのですからきつい話です。
  • 「呼んでもないのに、何回もこんといて!」と大声で怒鳴られたものです。半年でスーツが汗で3着も駄目になるほど歩きました。そのころから、とにかく逃げ出したいという気持ちで一杯でした。こんな事をするために大学に行ったのか?という気持ちもありましたが、それよりも日々のつらさから逃げ出したいというとてもnegativeな気持ちで一杯でした。
  • 目一杯煮詰まった時点で辞めました。誰にも言わずに辞めたので、自宅にも帰らずとりあえず大学に直行し教授に報告しなければいけないと思い、そうしました。
  • 何故大学の先生に報告が?と思われた人もいるかもしれません。私の担当の教授はそれはとても破天荒な人でした。今まで何人もしばかれ首を絞められたのを見てましたから、私もこの件では絶対に仰向けに倒され、馬乗りになられて首を失神寸前まで絞められるんだ、という恐怖がありました。
  • 早いほうがいい、遅くなればなるほどその見返りが怖い。そう思っての直行でした。おそるおそる教授にその旨を告げ目を閉じました。罵倒が飛んでくるのかと思いきや、教授はXXXXに面接にいってみるか?とその場で次の職場を紹介してくれました。そののち13年間お世話になることになる会社です。私はなぜか涙が出そうになり、うわずった声で「はい」と答えました。
  • こんな事を書いたのは、私の恥ずかしい体験談を披露するためではありません。転職動機ということについてお話をしたかったからです。長くなったので次のページでその辺を。